自然へ感じる罪もまた、エゴであるらしい。
朝の散歩をしていて、アスファルトの間を縫って生える雑草を見つけ、なんと人間は罪深きものか、と思った。
本来町中を生い茂るはずの草木をコンクリートで封じ込め、たとえ町中で草木を見つけても、それは大体建物を彩る装飾品だ。
しかし、よくよく考えてみれば、 「なんと罪深きものか」 これは、人間に対しての罪である。
人間もまた、自然の産み落としし、自然であり、草木とは同じリングで争うライバルである。
それを蹴落として、何が悪い。
ならば、この罪は、この罪悪感はなんだろう。
それはやはり、長期的視野において人間に不利益になるという意識なのである。
三千世界のウミガメを殺したとしても、それはフェアな闘技場で行われた正常な殺害であり、それによって起こる様々な人間に対する不利益を、人間は罰として考えて、勝手な罪意識を持っているのである。
自然保護活動は自然に対する人間の優しさではない、どこまでいっても人間はエゴでしか動かないらしい。
とある星で、エゴが息をしていた。