始めましての『過剰な』ご挨拶
いつ終わるかも分からないこのブログ。
この記事は、その初回。
「はじめまして、そしてさようなら」になるかもしれないご挨拶を始めます。
キーン コーン カーン コーン
キーン コーン カーン コーン
バタバタバタ
ガチャガチャ
チャイムののバカデカい音と同時に、学生たちは席へ急ぐ。
ポニーテールの可愛らしい女教師が教室に入ってきて、
「3分前教室入室! 2分前着席! 1分前黙想!って言ってるでしょ。何回言ったら分かるの?」と、ご立腹。
「ねぇ!なんで今教科書の準備してんの?前の授業終わったらすぐ準備するの!」
教師たちが作った「321運動」。青春に忙しい生徒たちはいつも忘れてしまう。
だから、これはお決まりのパターン。
そんな時、ふとこう思った。
(なんで、私は学校にいるんだろう。)
(学校という場は、常に全体が優先される。英語ができる子も、全くできない子も、同じ授業を受ける「義務」がある。)
(321運動だってそうだ。この運動をして自分のためになる子もいれば、ためにならない子もいる。なのに、この運動は全体に行動を強制する。)
(......なに考えてんだろ。こんなこと考えても仕方ないのに)
(けど、面白いな。)
何気ない日常の一コマを哲学した瞬間であった。
これも、もちろんお決まりのパターン、ではなかった。
何気ないパーツから発見を見出すことがこんなに面白いとは。
それから、私は哲学の虜になった。
私にとって、ただこの、「日常に批判的なメスを入れる」という行為が、気持ちよくて仕方が無かった。
ずっとずっと考えて、挙句の果てに無意識に考えるようにまでなった。
観察し、思考し、名言っぽい何かを生み出す。
無論、私はその「名言っぽい何か」を誰かに言いたくなった。
勇気を振り絞ってグループチャットに呟いてみる。
新学期は友達と会うのがむず痒く気恥ずかしい、そんな感覚に似ていた。
とても自慢したい宝があったとする。だけどそれは日本人にしか見えない宝なんだ。でも、僕はもっと自慢したいからその宝を外国人にも見えるようにしたい。それが、「翻訳する」ってことなんだ。
↑
(初期のもの)
(今見返してみてもよく分からない...)
・・・(^^)
返信は、数週間経っても来なかった。(あたりまえである)
何度やっても上手くいかない。
そして、私のモヤモヤは増えるばかりで、バクハツしそうだった。
だから、
私はその「名言っぽい何か」を吐き出す"ケツの穴"が欲しかった。
それがこのブログというわけである。
そう、今あなたが見ているものは、"ケツの穴"です。
したがって、明日からここに、哲学という名の大便を産み落としていくことになるだろう。
(すんませんすんませんすんません汗)
私はこのブログを喜んで捧げよう。
9割を「私へ」、1割を「あなたへ」。
そして、その1割があなたにささやかな発見をもたらしますように。
ってなわけで、私のご挨拶はこの1000字程度で終わりとさせて頂きます。