過剰な男の哲学ブログ

読んだら、もう戻れない。

ゆっくりと、死んでゆく人類

人類滅亡と聞けば、人工知能にぶっ殺されるとか、環境破壊による飢餓で死ぬとか、隕石に頭をかち割られるとか、考えるかも知れない。

だが、今回はそんな恐ろしいことは考えないことにしよう。

AIは暴走することなく、環境破壊はなんとか食い止めることができて、隕石を守るバリアかなんかを地球に作っちゃった、そんな理想みたいな世界の話をしよう。

「人類は永遠に幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし――。」

残念だが、多分そうはならない。

結論から言うと、結局滅亡すると思う。

ゆっくりと、そしてその他のバッドエンドよりかは安らかに。

 

具体的に記述していく。

AIをはじめ、様々な技術が発達すれば、相対的に人類の文化レベルは高くなる。

文化レベルが高くなれば、人々が求めるのは快楽、それすなわち「娯楽」になるに違いない。

そして、さらに技術は高くなり、「娯楽」の精度も高くなる。

ファミコン任天堂スイッチへと変化したように。

手紙がtwitterやLINEに姿を変えたように。

人々は狂ったみたいに「娯楽」に熱中するだろう。

そしてついにその日が来るのだ。

「娯楽」の面白さが「セックス」を超える時が来る。

するとどうなるだろう?

人々が「セックス」するのは、楽しいからに他ならないのに、そのアイデンティティが消滅するのだ。

「わが子孫を残すのである!」などと本気でほざいている連中は少ないと思う。

だから、人々は「セックス」する意味を失う。

ゆえに、子供は当然できなくなり、人類はゆっくりと死んでゆくのである。(先進国になるほど出生率は下がることも、この減少現象を後押しする)

この現象をグラフ化したとき、

快楽が横ばいの「セックス」に対し、指数関数的に増大する「娯楽」の線。

そして「娯楽」の面白さが「セックス」を超える点が現れる。

私はその点をこう名付けた。

性的特異点、すなわち「セックスシンギュラリティ」である。

これをもって、私のセックスシンギュラリティ理論とする。

 

 

だが、そうは言っても、誰も人類が絶滅してほしいとは思わない。

「なんとかしなければ!」という理性が働くからである。

しかし、その理性を吹き飛ばすのが「半出生主義思想」であると考えている。

反出生主義とは、「生きている、それだけで一部の幸せな人以外はつらい。僕らは最初から生まれなければ良かったんだ。僕らみたいな被害者が出ないためにも、子供は産むべきでない」という思想である。(進撃の巨人ジークの安楽死計画みたいな)

たしかに、自らの手でこの世界に産まれることを決断したわけではないから、不幸な自分たちは親のエゴの被害者だという思想は納得ができる。

自分の金で勝手に他人が宝くじを引いたみたいなものだ。

これが、子供を作らないことを正当化してゆくのだと思う。

 

 

技術と娯楽の力によって性的特異点に到達し、反出生主義によって滅亡への道を歩む人類の背中を押す。

だが、決して辛いことばかりではない。

なぜなら「セックス」よりも楽しい何かがその世を席巻しているはずだから。

(その娯楽が楽しすぎて反出生主義思想を淘汰してしまったとしても、減速はするが滅亡することには違いないと考える)

 

博士計畫