過剰な男の哲学ブログ

読んだら、もう戻れない。

盲目だけが貴方を守る

宗教によって人は救済される。

 

51億人。

 

この数字は、上から順に、キリスト教イスラム教、ヒンドゥー教、仏教の信者数を足し合わせたものだ。

世界人口が76億人くらいだとして、半数以上を占める。

(世界でスマホを持ってる人が40億人くらいだと言われているから、スマホより普及しているのだ)

なぜこんなにも宗教は多くの人に支持されるのか。

 

それは、宗教が人を盲目して、世界の不条理から目を背けさせるからだ。

(そしてそれは劇薬である)

 

一般に、問題が発生した時、主に2つの解決法がある。

1つ目は、問題を根本的に解決すること

例えば、期末テストがあって、あなたは親に叱られないようにしたいとする。

この場合、問題を根本的に解決するためには、あなたは勉強して良い点数を取るしか無い。

勉強することによって、テストという脅威を積極的に排除するのだ。

 

2つ目は、問題から目を背けること、つまり現実逃避である。

これは一般的に良いこととはされていないが、そんなのどうでもいいことだ。

どういうことかと言うと、

 

期末テストぉ?そんなの受けなきゃええねん。

授業ぅぅ?そんなの休めばええねん、ということ。

 

でもそんなことを言っていたら、ほらやっぱり、親が怒鳴る。

「学校行きなさい!」

・・・そう、も分かったやろ、耳を塞げばええねん。

 

問題を直視しなければ、それは無いのと同じだ。

 

いやいや、そんなこと言っても、安西先生に怒られますよ。

ほらよく言うじゃないですか。

「諦めたら試合終了だ」って

 

でも私は明確に反論する。

馬鹿者がァ!いいか?物事ってのはな、

 

諦めなきゃ終わらねえんだよ!!!

 

そう、考えることをやめるのだ。

 

 

というわけで、キーボードを叩く手に少々熱が入ってしまったが、なんとか伝わったのではないだろうか?

問題を解決するには、根本的解決と逃避という選択肢があるということ。

 

要するに、宗教とは、後者の行為(つまり現実逃避)を正当化する最高のツールであるのだ。考えない。

特に、この世界には、問題を根本から解決できないものの方が圧倒的に多い。

地球温暖化の問題

戦争と平和の問題

地球環境の問題

宗教を否定できるのは、その気になれば鼻息一つで地球の平和を守ってくれるような、誰にも頼まずに問題を解決することができるような、まさに神のみである。

 

神は貴方を悩ませない。

辛いことがあっても、神は希望と許しを与えてくれる。

 

(ちゃんと生きていけるかな......)

お前は生きてていいんだぞ。

きっと、この先楽しいことがあるんだぞ。

 

 

そして、友達の大事なゲームのカセットを紛失してしまっても、神は明確なる理由を明示してくれる。

 

(なんで失くしちゃったんだ!もう終わりだ!)

今までの行いが悪かったのだ。

もっと徳を積みなさい。

反省すれば、許される。

 

もしかしたら、自分の部屋が汚すぎて、ものに埋もれてしまっているのかもしれない。

不注意な性格が祟ったものかもしれない。

普通、理由なんて一つではない、沢山の小さな理由が重なり合っている。

けれど、そんなカオスで気持ち悪い状況をは嫌だから、我々は神という救済の代理人を立てて、シンプルに問題を再構築しているのだ。

超絶わかりやすく。

 

でも、それでいいじゃんか。

この世界という怪物は、我々なんぞ虫の息で蹴散らしてしまう。

嗚呼、なんて一方的なことだろう。

嗚呼、なんと無慈悲なことだろう。

こんにち我々が住んでいる世界そもそもが、こちらが不利になるように設計されているのに、なぜ我々は真面目に立ち向かわなければならないのか。

 

相手が卑怯な手を使ってくる勝ち目のないギャンブルは即座に降りるべきなのだ。

逃げるは恥だが役に立つ

別に恥に思わなくたって良い。

 

どうせ逃げるなら思いっきし逃げてやれ。

どんだけ逃げても「五十歩百歩」で罪は同じなんだからよ。