過剰な男の哲学ブログ

読んだら、もう戻れない。

【過剰な哲学】動けない賢者

過剰な男。

名字が「過剰な」で、「男」が名前。

なんてね。

 

 

この世には、頭は良いが、行動できない(行動力がない)人がいる。

しかし、この論理展開は間違っている。

 

その人たちは、頭が良いから動けないのだ。

 

 

子供の頃、よく水蒸気の立ち込めるお風呂場で、水を撒き散らして遊んでいた。

 

バシャーン

水を飛ばす音。

 

ピト♪ ピト♪ ピト♪

天井から水が滴る音。

 

わあ、楽しい(純粋)

本当に面白かった記憶がある。

 

最近になって、またお風呂で遊んでみた。

 

バッシャーン!

水を飛ばす音

 

ダッダッダッボトボトボトボト

天井から水が滴る音。

 

正直、私は全く楽しくなかった。

なぜなら、カビだらけの天井から水が滴るのが汚くて、気持ち悪くてしょうがなかったからだ。

私はすっかり閉口した。

大人になって、天井にカビが生えだしたのではない。

あの頃だって、天井のカビたちは元気に仲良く暮らしていた。

ただ、大人になって、私は生理的に受け付けることができなくなっていた。

 

この両者の差はなんだろう、それは知識の差であり、論理思考力の差である。

「天井はカビだらけ カビは汚い だから天井から降ってくる水は汚い」

そういう思考が無意識に頭に染み付いて離れなくなっている。

さらには、「水浸しにして、同居人に怒られたらどうしよう」という不確定な未来に対する恐怖さえ湧いてくる。

私は、子供の頃より知識を蓄え、頭が良くなったが、もうお風呂で水遊びをすることは無いだろう。

リスクの回避方法を覚えたにせよ、ある程度の教養を持ったことで、私はすでに水遊びという行動ができなくなっていた。

そこにはただ、全裸でカビ汁の雨に打たれ続ける悲しい男の姿があった。

 

 

このような出来事は、この世に多く蔓延っている。

 

振られたらどうしようと、告白できない若者。

みんなに馬鹿にされたらどうしようと、授業で手を挙げられない生徒。

スタートアップビジネスの世界は厳しいと聞きかじって、起業する勇気の出ないサラリーマン。

リスクの想定ばっかし上手い賢者、その大きな両足は、ついぞ動かない。

 

 

賢者が行動力を付けるには、もうこの方法しかない。

「考えない」

考えないで「無」になる力は瞑想で鍛えられる。

動き始めてから、やっと多少考えはじめる。

もう止まらない。

と、こんな感じの生活を続ける。

そうしたら必ず慣れが来るので、そこで終了だ。

 

 

動かない人生も良い。

だけどなかなか成果は出せないから、幾らかの能力をそこら辺に捨ててしまうことが大事だ。

知識・論理的思考というものは、良くも悪くも、世界がよく見えてしまうのである。

 

 

過剰な男より