過剰な男の哲学ブログ

読んだら、もう戻れない。

【過剰な哲学】アクアリウムー地球ー

【過剰な哲学】アクアリウムー地球ー

 

生物は基本子供を作り、子孫繁栄を目指しているように見える。

 

なぜそんなことをするの?

 

と聞いたらおそらく当の本人たちは

「気持ちいいから」

とか

「本能にそうプログラムされてるから」

とか言って、そこに「子孫繁栄、人類の繁栄を目指す」なんて言葉は出てこない(ように感じる)。

 

 

 

 

 

また、カマキリのオスが、自分の子供が元気に生まれてくるようにするために出産前のメスに捕食されるというのは有名な話であろう。(実際、オスを捕食したメスの生む卵の数は大きく増える)

 

しかし、カマキリのオスにとってみれば、食われれば自分はそこで死ぬわけだから、子供が健康に生まれてきたとしてもそれを見ることはできない。

 

だから、私にもこの積極的な「死」は、遺伝子に刻まれた「本能」の仕業だとしか考えられない。

 

 

 

 

 

本能によるプログラム。

 

子孫繁栄を目指すように作られたプログラム。

 

ならば、それは一体誰が書いたのだろうか?

 

私には、それが母なる大地と、その子らとは全く無関係の三者による意識が感ぜられてならない。

 

目的は、「鑑賞」。

 

地球というアクアリウムを豊かに保つための都合の良いシステムを形作るためのプログラムである。

 

 

 

 

 

私はオカルトチックな話をしたいのではない。

 

そう考えるのが合理的だと判断したので書いているのである。

 

 

 

 

 

さらに付け加えれば、宇宙の全ての事象を説明するためには、11次元必要だ、と言われる。

 

しかし、空間3次元+時間1次元で暮らす我々には11次元を知覚することができないため、我々より上位の次元に住む生物が我々を鑑賞していても全くおかしいことではない、というか気づけない。

 

例えば、魚たちは人間を水中でしか見たことがないため、人間を水に住む生き物だと誤って認識しているかもしれない。

 

住む場所が違えば、正確に情報を掴むことは不可能に近い、といことだ。

 

私はこの世はアクアリウムに近いものだと思う。

 

 

、、、と、厨二病に侵された脳みそでゴニョゴニョと考えてみた次第である。