【過剰な物語】蠅
ひらひらと舞う、その雪が、私には蠅に見えた。
風に煽られて踊り、重力を忘れる。
ふぃらふぃら、そんな効果音があればぴったりだ。
授業中に窓の外を眺めているたら、室町さん?と先生から苦笑いを食らった。
朝起きると、頭蓋骨の中で脳みそだけが揺れ動くような、そんなズンズンとした痛みがあった。
薄暗い部屋に、めちゃくちゃに音を出して、場違いに1日の始まりを告げるスマホが、ヴァイブレーションで微かに動いている。
天気予報、大雪(スマホ調べ)。
コンタクトレンズを付けて、髪を整え(今日もポニーテルだ)、最後にセーラー服をはらりと着た。
スカートは足が冷える。
朝から消えない目の奥にある違和感を拭えずに、私は玄関のドアを開いた。
そしたら、雪が、蠅になっていた。
ウーーン...ブゥゥン...
羽音。
私は、黒い点に包囲されていた。
そして、グレーの空を覆う点Pは高速で周囲を移動し続けている。
地面に積もっているのは、大量の点Pの死体たち......
私は思わず、ひゃあ、という高音を発して、慌ててドアを締めた。
紺のセーラー服の袖には、一匹の点Pが止まっていた。
反射的に動かした腕で、潰した。
それから滲み出た体液は、異常なほど熱く、私はまた、ひゃあと叫んで、玄関口の靴たちの中に尻もちをついてしまった。
ウーーン...ブゥゥン...
その時、リュックサックが小刻みに揺れた。
通知、四件。
「ねぇ!」 07:02
「外見た!?」 07:02
「おーい」 07:04
「いつまで寝てんだよーw」 07:04
2分前に通知が二件、気づかなかった。
この奇妙な体験をしている人間が自分だけではないことに感動を覚えながらも、指を東西南北あちこちに動かして返信する。
「なにあれ?」 07:04
「どうなってるの?」 07:04
「やばいよ!」 07:04
夏子の返信を待った。
と、そこで、朝のアラームの時に、スマホの左上にあるボタンを「消音モード」にしていたことを思い出した。
すかさず「OFF」にする。
私が通知に気づかなかったわけだ。
ピロン♪
「今日の雪、綺麗だね。」 07:05
え。
「何言ってんの?」 07:05
「蠅じゃん!」 07:05
ピロン♪
「草」 07:05
これ以降、何も返ってこなかった。
寝ぼけていたのか、なんだ、ははは、私は口角を上げて、ドアを開ける。
それでもやっぱり、いた。
一匹の蠅がふぃらっと首筋に止まった。
あつっ...いや、冷たい...?
そして不思議なことに、蠅の羽音は全く聞こえなくなっていた。
あの音の正体は、スマホのヴァイブレーションだったのだ。
その時、私は全てを悟った。
私は夢をみていたのだ。
――夢オチ?
いや、ちがう。
白が黒に。
黒が白に、変わる。
これは私を生涯に渡って苦しめることになるのだろう、私は、この極めて稀な色盲の症状を理解した。
私の人生の天気予報、それは確実に「大雪」であった。
【過剰な哲学】アクアリウムー地球ー
【過剰な哲学】アクアリウムー地球ー
生物は基本子供を作り、子孫繁栄を目指しているように見える。
なぜそんなことをするの?
と聞いたらおそらく当の本人たちは
「気持ちいいから」
とか
「本能にそうプログラムされてるから」
とか言って、そこに「子孫繁栄、人類の繁栄を目指す」なんて言葉は出てこない(ように感じる)。
また、カマキリのオスが、自分の子供が元気に生まれてくるようにするために出産前のメスに捕食されるというのは有名な話であろう。(実際、オスを捕食したメスの生む卵の数は大きく増える)
しかし、カマキリのオスにとってみれば、食われれば自分はそこで死ぬわけだから、子供が健康に生まれてきたとしてもそれを見ることはできない。
だから、私にもこの積極的な「死」は、遺伝子に刻まれた「本能」の仕業だとしか考えられない。
本能によるプログラム。
子孫繁栄を目指すように作られたプログラム。
ならば、それは一体誰が書いたのだろうか?
私には、それが母なる大地と、その子らとは全く無関係の第三者による意識が感ぜられてならない。
目的は、「鑑賞」。
地球というアクアリウムを豊かに保つための都合の良いシステムを形作るためのプログラムである。
私はオカルトチックな話をしたいのではない。
そう考えるのが合理的だと判断したので書いているのである。
さらに付け加えれば、宇宙の全ての事象を説明するためには、11次元必要だ、と言われる。
しかし、空間3次元+時間1次元で暮らす我々には11次元を知覚することができないため、我々より上位の次元に住む生物が我々を鑑賞していても全くおかしいことではない、というか気づけない。
例えば、魚たちは人間を水中でしか見たことがないため、人間を水に住む生き物だと誤って認識しているかもしれない。
住む場所が違えば、正確に情報を掴むことは不可能に近い、といことだ。
私はこの世はアクアリウムに近いものだと思う。
、、、と、厨二病に侵された脳みそでゴニョゴニョと考えてみた次第である。
【過剰な哲学】動けない賢者
過剰な男。
名字が「過剰な」で、「男」が名前。
なんてね。
赤
この世には、頭は良いが、行動できない(行動力がない)人がいる。
しかし、この論理展開は間違っている。
その人たちは、頭が良いから動けないのだ。
黒
子供の頃、よく水蒸気の立ち込めるお風呂場で、水を撒き散らして遊んでいた。
バシャーン
水を飛ばす音。
ピト♪ ピト♪ ピト♪
天井から水が滴る音。
わあ、楽しい(純粋)
本当に面白かった記憶がある。
最近になって、またお風呂で遊んでみた。
バッシャーン!
水を飛ばす音
ダッダッダッボトボトボトボト
天井から水が滴る音。
正直、私は全く楽しくなかった。
なぜなら、カビだらけの天井から水が滴るのが汚くて、気持ち悪くてしょうがなかったからだ。
私はすっかり閉口した。
大人になって、天井にカビが生えだしたのではない。
あの頃だって、天井のカビたちは元気に仲良く暮らしていた。
ただ、大人になって、私は生理的に受け付けることができなくなっていた。
この両者の差はなんだろう、それは知識の差であり、論理思考力の差である。
「天井はカビだらけ カビは汚い だから天井から降ってくる水は汚い」
そういう思考が無意識に頭に染み付いて離れなくなっている。
さらには、「水浸しにして、同居人に怒られたらどうしよう」という不確定な未来に対する恐怖さえ湧いてくる。
私は、子供の頃より知識を蓄え、頭が良くなったが、もうお風呂で水遊びをすることは無いだろう。
リスクの回避方法を覚えたにせよ、ある程度の教養を持ったことで、私はすでに水遊びという行動ができなくなっていた。
そこにはただ、全裸でカビ汁の雨に打たれ続ける悲しい男の姿があった。
青
このような出来事は、この世に多く蔓延っている。
振られたらどうしようと、告白できない若者。
みんなに馬鹿にされたらどうしようと、授業で手を挙げられない生徒。
スタートアップビジネスの世界は厳しいと聞きかじって、起業する勇気の出ないサラリーマン。
リスクの想定ばっかし上手い賢者、その大きな両足は、ついぞ動かない。
青
賢者が行動力を付けるには、もうこの方法しかない。
「考えない」
考えないで「無」になる力は瞑想で鍛えられる。
動き始めてから、やっと多少考えはじめる。
もう止まらない。
と、こんな感じの生活を続ける。
そうしたら必ず慣れが来るので、そこで終了だ。
黒
動かない人生も良い。
だけどなかなか成果は出せないから、幾らかの能力をそこら辺に捨ててしまうことが大事だ。
知識・論理的思考というものは、良くも悪くも、世界がよく見えてしまうのである。
黒
過剰な男より
【過剰な哲学】あなたが彼女に振られた理由
因果。
原因があって、結果がある。
それはそうなのだが、我々人間が知覚できるのは、氷山の一角に過ぎないため、全ての事象に原因があって、結果があるとは限らないのだ。
黒
ある曇りの日。
講義が終わって、板書をしたノートを見返した。
字は汚いが、漏れはなさそうだ、、、よしよし、、、
そしたら背後から、
「お前ノートに落書きしすぎ笑」
「この落書き、どういう意味?」
と、後ろの席に座っていた友人が、ニヤニヤと笑って言ってきた。
たしかに、私のノートには落書きが猟奇的に連なっていた。
「ムもォええ」
「現実とも限らない」
↓別の日
「フフフフフフフフフフ...」
↓別の日
「■ ○ ⚫ ・・・」
友人がもう一度私に問う。
「どういう意味?」
暫く考えて、静かに私はこう説明した。
「分からない、、、」
本当に分からなかった。
理由なんてない、論理なんてない。
強いて言うなら「気分」としか・・・。
青
土偶がある。
一説によれば、女性像が多いことから、「こ、これは安産のお守りに違いないッ!」という人がいっぱいいるらしい。
だけど、この土偶を作ったことにだって、私は大した意味はないと考える。
私の落書きと同じく、
――気分。
その程度のものだったのだ。
「その奇天烈なお人形さん、イカしてるワネ!」そうやって、インスタに写真を投稿するがの如く広がっていったのだろう。
昔の人たちが見れば、よい笑い草になるかもしれない。
青
現代文明が滅びて100年後、ある未来の学者は一冊の書物を拾う。
どうやら、学問の知識を記した「ノート」と呼ばれるものらしい。
中を開くと、ノートの切れ端に、なにやら学問と関係のない言葉が散乱していた。
「ムもォええ」
「現実とも限らない」
「フフフフフフフフフフ...」
「■ ○ ⚫ ・・・」
未来の学者は閃いた。
そして意気揚々に、こう言い放つのである。
「これは、発達しすぎた科学文明が人間に及ぼした精神障害の一端である!!」
私は、この誇大な妄想をして、笑うしかないのである。
赤
因果は無いほうが普通だと思っていたほうがいい。
論理に惚れ込んだストーカーは、時に判断を誤ってしまうことを忠告し、このブログを終わりたい。
黒
過剰な男より。
【過剰な哲学】貴方は、努力してはいけない
※ホリエモン氏の唱える「努力するな、遊べ」理論とは内容が異なります。
過剰な男の哲学ブログにようこそ。
今日の議題は「努力」について。
よく耳にする話題です。
「努力する人は皆幸せ」とか「努力は必ず報われる」とか「成功するには努力しか道はない」とか。
沢山の人が努力について悩むためか、努力に関する名言は数え切れないほどあります。
そんな中、私は、「努力する人は不幸せだ」と考えます。
なぜなら、努力とは今の自分を否定し、新しい自分を上書きすることだからです。
たとえば、「夢がある、だからオイラはすべてを捧げて努力する!」という少年。
かっこいいですよね。
しかし、そこには明確に、今の自分に満足していない少年の姿があるのです。
今に幸せを感じている人は努力をしません。
そもそも努力をする必要がないからです。
新しく彼女ができた瞬間に次の彼女を探そうと努力する人はいませんよね。
だから、私は、努力している人には必ず心の欠損がある、と考えるのです。
誤解なきよう、私が言いたいのは「努力するな」ということでは決してありません。
必ずしも「努力」をするのが「幸せ」だとか「良いこと」だとは限らないよ、と一石を投じたかっただけです。
今が十分幸せなはずなのに「努力できないワイはゴミ人間や」と自分を責める必要は全く無いと、そう言いたいのです。
努力とは、低い自己評価を修復するためにとる一つの手段。
自慰的なストレス発散法。
貴方は、必要のない無駄な努力はしてはいけない。
堂々と、笑っていればいい。
それができない人が、努力をすべきだな、と。
始めましての『過剰な』ご挨拶
いつ終わるかも分からないこのブログ。
この記事は、その初回。
「はじめまして、そしてさようなら」になるかもしれないご挨拶を始めます。
キーン コーン カーン コーン
キーン コーン カーン コーン
バタバタバタ
ガチャガチャ
チャイムののバカデカい音と同時に、学生たちは席へ急ぐ。
ポニーテールの可愛らしい女教師が教室に入ってきて、
「3分前教室入室! 2分前着席! 1分前黙想!って言ってるでしょ。何回言ったら分かるの?」と、ご立腹。
「ねぇ!なんで今教科書の準備してんの?前の授業終わったらすぐ準備するの!」
教師たちが作った「321運動」。青春に忙しい生徒たちはいつも忘れてしまう。
だから、これはお決まりのパターン。
そんな時、ふとこう思った。
(なんで、私は学校にいるんだろう。)
(学校という場は、常に全体が優先される。英語ができる子も、全くできない子も、同じ授業を受ける「義務」がある。)
(321運動だってそうだ。この運動をして自分のためになる子もいれば、ためにならない子もいる。なのに、この運動は全体に行動を強制する。)
(......なに考えてんだろ。こんなこと考えても仕方ないのに)
(けど、面白いな。)
何気ない日常の一コマを哲学した瞬間であった。
これも、もちろんお決まりのパターン、ではなかった。
何気ないパーツから発見を見出すことがこんなに面白いとは。
それから、私は哲学の虜になった。
私にとって、ただこの、「日常に批判的なメスを入れる」という行為が、気持ちよくて仕方が無かった。
ずっとずっと考えて、挙句の果てに無意識に考えるようにまでなった。
観察し、思考し、名言っぽい何かを生み出す。
無論、私はその「名言っぽい何か」を誰かに言いたくなった。
勇気を振り絞ってグループチャットに呟いてみる。
新学期は友達と会うのがむず痒く気恥ずかしい、そんな感覚に似ていた。
とても自慢したい宝があったとする。だけどそれは日本人にしか見えない宝なんだ。でも、僕はもっと自慢したいからその宝を外国人にも見えるようにしたい。それが、「翻訳する」ってことなんだ。
↑
(初期のもの)
(今見返してみてもよく分からない...)
・・・(^^)
返信は、数週間経っても来なかった。(あたりまえである)
何度やっても上手くいかない。
そして、私のモヤモヤは増えるばかりで、バクハツしそうだった。
だから、
私はその「名言っぽい何か」を吐き出す"ケツの穴"が欲しかった。
それがこのブログというわけである。
そう、今あなたが見ているものは、"ケツの穴"です。
したがって、明日からここに、哲学という名の大便を産み落としていくことになるだろう。
(すんませんすんませんすんません汗)
私はこのブログを喜んで捧げよう。
9割を「私へ」、1割を「あなたへ」。
そして、その1割があなたにささやかな発見をもたらしますように。
ってなわけで、私のご挨拶はこの1000字程度で終わりとさせて頂きます。